山陽新幹線30周年

 2005年3月、九州方面へ旅に出た。
 たくさんの鉄道に出会ったが、ここでは特に0系についてみたままの写真と情報をレポートしている。
 新幹線の知識も一般常識的にしかないので、間違っていた場合は教えていただければ幸いです。
 私の旅の場合、鈍行列車での移動が楽しみなので、新幹線は年に2回しか利用しないのですが、 今回は広島から新下関まで利用しました。

 九州入りなのに新幹線が新下関までなのは、単にきっぷを買い間違えたからなのですが、幸運にも、新下関駅で、息のある0系のオリジナル塗装車(Q編成)に出会ったのです!

 すべて消滅したはずのこの塗装、まだ生きているものがあったのかと、人の居ない広いホームを興奮気味に走った。

 撮影場所は上りホームで、左図の
に当たる。
 写真の0系は
で示してある。

 注目して欲しい点は、留置位置の前後。

 まず上りよりの図中@の柵。
 本線との間に鉄製の柵がある。

 そして、下り側は、図中Aの通り、カーブしながら、地上へのアプローチ線となっている。

 いったい、この巨体はなんなのだろうか。

 一瞬、明日始まる「山陽新幹線30周年イベント」の「0系ひかり」用に整備された車両と思う。

 しかし、下関に車両センターが存在するとは聴いたことが無かったし、@の柵があり、簡単に本線復帰できない。
 また、車体の痛みが激しすぎる。
 幡生に車両解体所があるので、それと関係があるのかと、痛ましい巨体の観察を続ける。
 アプローチ線方向を望む。
 アプローチ線の先は地上で山陽本線に沿うように、留置線が広がっている。

 ・・・ここで地図をどうぞ→
 どこを見ても痛ましい巨体 0系。
 謎のまま、ゆっくりとアプローチ線を下っていった。
 以上、新下関駅にて 2005-03-09


 ・・・東京へ戻って調べると、彼は新下関駅横のJR西日本乗務員訓練センターの訓練車であったことがわかった。

 翌10日は山陽新幹線30周年の記念イベントとして、「0系ひかり340号」が運転され、出発にあたり、博多駅では出発式が行われた。
 博多まで新幹線が延びた当時の喜びを、前日の地元ニュースで多く見た。
 しかし、残念ながら、博多で30年も止まっているということでもある。


 こちらの0系は「ウエストひかり」塗装とは言えども、非常に綺麗であった。
 しかし、残念ながら、4月まである「0系ひかり」の後は、廃車になってしまうそうである。

 転じて、営業列車から「白・青」の0系が消滅するということである。
 「ひかり」を名乗りながらも、新大阪までに「のぞみ」2本、「ひかりレースルター」1本に抜かれてしまう。
 しかし、それらの高速列車は0系が礎になっているのである。

 敬意を表して抜いていったことだろう、と想像を膨らませて、結びとする。

 以上、博多駅にて 2005-03-10

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